理事長コラム(2023.7)
5月21日、G7広島サミットが終わりました。歴史的なサミットだったと思います。日本のみならず関係国の多くの人々の努力が見えるようでした。私は、最近はラジオ派となり、普通テレビは余り見ないのですが、サミットの数日間はテレビに釘付けになっていました。映像を見ないとラジオでは分からないことが多くあります。国際情勢を見る時に、首脳達の表情や振る舞いは非常に重要な判断材料になります。
私が今回サミットに特別の関心を持ったのは、幾つか理由がありました。今の難しい時代にG7の重要性は言うまでもありません。会議開始後にウクライナのゼレンスキー大統領の対面出席の可能性が報道され、それが現実のことになりました。それは今回サミットの重要性を一層高めることになりました。もうひとつの理由は、私は広島出身で、広島市の学校に行っていたことです。平和祈念公園や原爆ドームは良く知っています。私が中学生の頃は、電車などで手等にケロイドのある多くの被爆者の方々を見ることは日常のことでした。今回久しぶりに見た丹下健三設計による広島平和記念資料館は、厳粛な佇まいを見せていました。
もう一つ理由があります。先進国サミットが始まったのは、1975年の仏のランブイエ城です。この時はG6、翌年の米プエルトリコ・サミットではカナダが入り、G7になりました。この第二回サミットには、私も支援スタッフのひとりとしてプエルトリコに行きました。ドラドビーチ・ホテルの会議場に一番近い第一連絡室で官房副長官、経済局長と3人が待機、私は電話当番をやっていました。首脳達は宿舎と会議場の間をゴルフカートで行き来しました。ゴルフカートで走る米のフォード大統領を間近で見たのもその時でした。冷戦終焉後ロシアが参加、G8と呼ばれました。しかし2014年のロシアによるクリミア侵攻で同国の参加が停止され、同年以降再びG7に戻りました。
G7は、間もなく50年になります。日本の国際化の歴史とも重なります。2008年の世界金融危機を経て、G20首脳会議が設けられ、一時乱暴なG7不要論が言われましたが、今また、世界のリベラルな秩序を守る重要な枠組みになっています。広島サミットはそれを証明しました。広島サミットでの首脳達を見ると、同僚意識の発展や首脳達の自然な振る舞いが印象的でした。世界は今大きな問題に直面していますが、それでも何らかの国際協力は確実に進んでいます。
一般財団法人 国際協力推進協会
理事長 重家 俊範
(本頁の内容は、APIC会報誌第16号冒頭に掲載しているご挨拶文と同様です。)