「バルバドス 歴史の散歩道」(その1)
(バルバドスヨットクラブ)
<ヨットクラブの光景>
「ヨットクラブで毎年恒例のクリスマスランチがあるから来てみないか」と,ある人から声をかけられたのは,筆者がバルバドスに赴任してまだ間もない2016年の暮れのことでした。
せっかくのお誘いなので当日ノコノコ出かけていくと,「バルバドス・ヨットクラブ」は島南部のカーライル湾に臨む,首相府にもほど近い一等地にありました。門を入るとコロニアル風の立派な建物が目に入ります。
ランチ会場の大サロンに入ったとたん奇妙な感覚に包まれました。すでに150人ほどがテーブルに着いていたのですが,ほとんど全員が白人。いわゆる「非白人」は筆者のほかに数人だけで,その人達もクラブメンバーの黒人配偶者とおぼしき面々です(ちなみにウェイターは全員が黒人)。首都ブリッジタウンの雑踏や地元のレストランなどでふだん目に入る黒人中心の色彩とまるで違っていたのです。
なごやかな雰囲気の中,おいしいバルバドス料理を食べて帰路についたのですが,この国の人種構成からかけ離れた光景を見て「あれは一体なんだったんだろう?」と不思議に思ったので,いろいろ調べてみました。
バルバドス・ヨットクラブが創設されたのは,この島がまだイギリスの植民地だった1924年。創設時は「ロイヤル(王立)」バルバドス・ヨットクラブという名称でした。当時は限られた裕福な者だけが入ることを許される,とても閉鎖的な会員制の社交の場で(この種の会員制クラブは,イギリス文化圏の国には現在も多くあります),バルバドスが独立するまでは「有色人種は会員になれない」という不文律がありました。
クラブの名誉のために言っておきますが,今ではもちろんこんなルールはありません。
ではなぜ白人ばかりが多いのか?問題は,このクラブがいまだに会員制だということにあります。で,どうしたら会員になれるのかというと,まず現会員2名の推薦が必要。次にクラブの会長(正式にはコモドア[=提督]という古風なタイトル)による面接があります。最後に新会員候補として現会員全員の投票で過半数の賛成が得られれば,それなりの会費を払って晴れて会員になれるというわけです。
このプロセスがハードルになっているのです。
ただしそうは言っても,身元が確かな黒人が会員になろうとする場合,入会プロセスをクリアすることは難しくありません。今のバルバドスで肌の色を理由に入会が阻まれれば,それこそスキャンダルになるからです。入ろうと思えば簡単に入れます。
なのに,どうして黒人会員が増えないのか?理由は単純で,会員になろうとする黒人がほとんどいないからです。黒人の側から見ると,「あそこは昔から白人たちがツルんでいる場所」であって,今の自分たちの社会的地位や財力には関係なく,「わざわざ頭を下げて審査を受けてまで入れてもらうところではない」のです。
一方,クラブの運営側は「当クラブは開放的な団体であり,どなた様も歓迎します」と謳ってはいるものの,それではなぜこの七面倒くさい会員制度を廃止しないのか?この問いに対しては運営側もそれなりの説明を用意しているのでしょう。しかし近年,白人人口の減少や高齢化で会員数が伸び悩み,財政難がクラブの悩みの種になっているにもかかわらず,「カネさえ払えば誰でも入れるようにしよう」という声が挙がったという話はついぞ聞いたことがありません。
「独立後50年以上たっても,国の経済の根幹を押さえているのは実は少数派の白人たちだ」という話をときどき耳にすることはあったものの,この時まで筆者は,ふだんの生活の中で人種間の軋轢を感じたことはありませんでした。しかしヨットクラブのあの光景は,筆者のように外から来た者にはうかがい知れない,この島の歴史に由来する複雑な心理を垣間見るきっかけとなりました。
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バルバドスはカリブ海の東端に浮かぶ人口30万人足らず,日本の種子島と同じくらいの面積の小さな島国です。
島は17世紀前半にイギリスの植民地となり,一時はプランテーションで作る砂糖をヨーロッパに輸出することで栄えました。プランテーションの労働力として使役されていたのはアフリカから大量に連れてこられた黒人奴隷たちでした。
1966年にイギリスから平和裡に独立。青く澄んだ海と白砂のビーチ,そして陽光に恵まれるこの国は欧米人のリゾート地として知られるようになります。人口の9割以上を占めるのは,かつての奴隷の末裔にあたる人々です。現在は大統領や,首相をはじめとする閣僚全員が黒人であることからも分かるように,黒人が中心となって営む平和で安定した民主国家となっています。国民一人当たりGDPは約1万5千米ドル(2020年,世銀)ですから,世界の上から3分の1くらいのところにつける,そこそこの高所得国と言えます。
300年以上のあいだイギリスの統治下にあったので公用語は英語です(註1)。したがって,この国は「ラテンアメリカ」ではなく,バハマ,ジャマイカ,ドミニカ国,トリニダード・トバゴなどと同じく,いわゆる「英語圏カリブ」に属します。
(バルバドス南海岸の風景)
<我々は何者なのか?>
ヨットクラブのランチから4年近くが過ぎた2020年9月15日。
ブリッジタウンの国会議事堂で国会の新会期開会式が行われていました。バルバドスでは旧宗主国イギリスと同じように国会会期冒頭の施政方針演説は「王位演説」の形式をとっていて,政府が起案した原稿を元首が読み上げるという儀式が慣例となっていました。
2020年の時点ではバルバドスの憲法上の元首はイギリスのエリザベス2世女王でした。女王様がこのためにわざわざバルバドスに来るわけではないので,施政方針演説を読み上げたのは,元首である女王の「代理人」たるバルバドス総督,サンドラ・メイソン女史でした。
現地出身のこういう「総督」がいるのはバルバドスに限った話ではなく,オーストラリア,ニュージーランドやカナダといった,かつてイギリスの植民地だったいくつかの国も同じです(註2)。これらの国に共通するのは,独立後,大統領を元首とする共和国にはならず,イギリスの元首を引き続き自らの元首として戴く君主制の道を選んだという点です。
筆者は,ほかの国の大使たちと一緒にこの日の行事に招待されていたので,決められた席に座ってメイソン総督が読み上げる演説を神妙に聞いていました。メイソン総督は,2019年10月に東京で行われた「即位の礼」に遠路はるばる参列してくれたのですが,その時に日本の着物を買ってきて,翌2月の日本大使館主催天皇誕生日レセプションにその着物をまとって登場したという大の日本贔屓です。それはいいのですが,壇上の総督の下に座っているバルバドス史上初の女性首相,ミア・モトリーが中心になって起草した演説がけっこう長かったため筆者が不覚にもウトウトしかけたその時,総督が読む演説があるくだりにさしかかって思わず我に返りました。
「バルバドスは世界でもっとも良く統治された黒人社会として知られる統治体制と制度を発展させてきた。(1966年の)独立以来,私たちバルバドス人は国家としての私たちの特徴や価値を最大限に反映することを確保できるよう,常に法制度や統治の改善を追求してきた。エロール・バーロー初代首相は,植民地の状態を続けることについて警鐘を鳴らしていた。この警鐘は1966年においても現在においても意味を帯びている。50年以上前に独立を達成し,私たちの国が自治を行う能力があることについては疑う余地はない。今こそ,植民地としての過去と完全に決別する時である。バルバドス国民は,バルバドス人の国家元首を望んでいる。これは,私たちが何者であるのか,そして私たちが何を為しうるのかについての決然とした意思の表明である。したがって,バルバドスは,来年(2021年)11月30日の独立55周年記念日までに,完全な主権および共和国への移行を達成するために次なる論理的段階に進むだろう」
メイソン総督は,そう読み上げたのです。
バルバドスが,バルバドス人の元首を持つ国になること,つまり(外国人である)イギリス女王を元首とする国体に別れを告げて共和国となる意思を表明した瞬間でした。
実は,共和制への移行というテーマはこの時突然降ってわいたのではなく,1990年代からたびたび,時の政権によってその意向が示されてきたという経緯があります。ただ,いずれの政権もそれを実行に移すには至らずにここまで来てしまっていたのです。
《自分たちの先祖は,植民地時代,砂糖プランテーションの労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷だった。その末裔である自分たちは幾多の試練を乗り越えて独立を勝ち取った。それから何十年も経って,今では自分たちがこの国の主人公として国を立派に運営しているというのに,なぜいまだに外国人であるイギリス女王を元首と仰がなければならないのか?我々はいったい何者なのか?》国民の多くはこんな疑問を抱き続けてきたのです。
2020年のこの日,強力なリーダーシップで知られ国民の幅広い支持を得ているモトリー首相の率いる政権が,長年にわたる心の中のモヤモヤを払拭する具体的な一歩を踏み出したのでした。
<植民地としての過去との決別>
翌2021年11月30日,約束された日は来ました。政府は共和制への移行にむけて着々と準備を進め,独立55周年のこの日,ブリッジタウン中心部の「国家英雄広場」で開催された記念式典の場でバルバドスが共和国となることが宣言されました。
そして,君主制時代最後の総督を務め,共和国バルバドスの初代大統領(註3)に就任したメイソン大統領は「これまで55年間,私たちは共和国となることを待ち続け,論議を続けてきたが,ついにそれが実行に移されることとなった。私たちバルバドス人は今日,積み重ねてきた成功を身にまとって,新たな方角へと羅針盤をセットした」と述べました。式典に招かれてその場にいた筆者は,気丈な彼女が感極まって一瞬声を詰まらせるのを見ました。
この式典には,バルバドスの旧宗主国,イギリスのチャールズ皇太子も招待されていました。演壇に立った皇太子は祝辞のなかでこう語りました。「バルバドスには奴隷制度という暗黒の過去があり,目をおおいたくなるような残虐な行為がなされました。これは私たちの歴史に永遠の汚点を残すものです。にもかかわらずイギリスとバルバドスは50年以上にわたって友好関係を維持することを得ました。私はあなたたちが成し遂げてきたことを賞賛するものであり,いつまでもバルバドスの友人でありたいと思います」
そして共和制への移行を先頭に立って進めてきたモトリー首相は,この日,国民向けの演説を行い,このように語っています。「我々は,この朝を自分の心の中にある風景の転換点として迎えている。この国が,人々の基本的に必要とすることを充たす能力がある国として成功してきたのはたしかだ。しかし我々の旅路はこれで終わったのだろうか?いや,そうではない。我々が旅を続けることができるかどうかは,今や外部の誰にでもなく,我々自身にかかっているのだ」
こうして,国家体制の移行を平和裡に果たした新生バルバドスは,大統領と首相のふたりを女性がつとめる共和国となりました。
(大統領就任式でスピーチするメイソン大統領)
(モトリー首相(バルバドス政府広報局の写真))
筆者は,新しい任地に赴任すると一応はその国の歴史を紐解くことにしていたので,バルバドス行きの辞令を受けた時この点では実は少しがっかりしました。
なにしろカリブ海の東端にポツンと浮かぶ,車であれば3,4時間もあればまわりを1周できてしまう小さな島国です。なにか世界史上の目立った出来事の当事者になったという話を聞いたこともないし,だいいち「バルバドス」と聞いても日本人のほとんどは,どこにあるどんな国なのかも知らないでしょう。
なので,この国の歴史といってもせいぜい「1627年にイギリス植民地となる」→「奴隷を使役するプランテーションで作った砂糖をヨーロッパに輸出して栄える」→「1966年にイギリスから平和裡に独立」→「議会制民主主義が定着した中高所得国になり,欧米人のリゾート地として知られるようになった」オシマイ,という程度の話ではないかと思ったりもしたものです。ところが実際に住んでみて,いろいろと調べてみるとなかなかどうして,こういう小島嶼国にもけっこうエキサイティングな歴史があることを知りました。
2021年11月30日に「植民地としての過去からの決別」を達成したバルバドス。次回以降は,日本ではほとんど知られていない,この小さくも美しい国がたどってきた歴史を順を追って紹介していきたいと思います。
(註1)日常会話では「ベイジャン・イングリッシュ」とよばれる,かなり訛りの強いクレオール英語が使われることが多い。白人層の多くはイギリス英語とほぼ変わらない英語を話しますが,黒人層,とくに庶民は自分たち同士の日常会話ではベイジャン・イングリッシュを使うのが普通で,語学の才に乏しい筆者は数年間バルバドスに住んでも彼ら同士の会話はほとんど聞き取れません。
(註2)総督職をもつ国は現在,この3カ国のほか,バハマ,ジャマイカ,セントルシア,セントビンセント及びグレナディーン諸島,アンティグア・バーブーダ,セントキッツ(セントクリストファー)・ネービス,グレナダといったカリブ諸国にくわえ,パプアニューギニア,ソロモン,ツバルです。
(註3)この大統領は政治的権能をもたない象徴大統領です。なお,バルバドスは共和国になった後もイギリス連邦(コモンウェルス)には残留することとなりました。
(本稿は筆者の個人的な見解をまとめたものであり,筆者が属する組織の見解を示すものではありません。)
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