インタビュー:本多義人 APIC評議員(東神インターナショナル株式会社 名誉会長)
◆昔の上智大学
Q1・学生時代は上智大学の経済学部経済学科で学ばれたと伺いました。当時は男子学生の数も生徒数に対する教員の数も多く、現在の上智大学とは異なる雰囲気があったとお聞きしております。大学での印象に残る出来事や思い出はありますか。
いっぱいありますよ。実は上智は志望校ではなく、国立を失敗した後高校の先生と相談して願書が間に合う唯一の大学だったんで慌てて飛び込んだんです。私の高校は文武両道で私は野球をしていて、選抜で甲子園に行きましたので、早速野球部に入ろうと思いました。ですが当時の上智の野球部は東都リーグ3部の下位で練習を土手の上から見たらユニホーム姿もだらしなく無帽の者もいていっぺんに入る気をなくしました。でもマネージャーは私が野球をしていたのを聞きつけ熱心に勧誘にきたので、それでは野球部を強くしようなんて生意気な意気込みで結局は入部したんですよ。
ところが入って見ると何と監督がアメリカ人の神父で練習も試合も指示はみんな英語なんですね。私は元々中学の時から英語は大好きだったのでこれは上智に入った甲斐があったと嬉しかったですね。しかも夏休みの練習後のある日、ユニホーム姿で部室にかえる途中野球好きの神父に声をかけられその神父がなんと当時の上智大学学長の大泉神父だったんですね。それがきっかけで大泉元学長に親しくご交誼を賜り色々と薫陶を受けたわけですが、第一他の大学では学長とお付き合い出来るなんて考えられませんよね。他学校に行った高校の同窓生に話したらみんな嘘だと言っていましたよ。このことがきっかけで上智が大好きになり、また在学中も卒業後も上智に関する事を色々任される様になったのだと思いますが、もし野球部に入ってなければつまらない学生時代を送っていたか、ほかの大学に移っていたでしょう。
当時の上智は学生数より神父の数の方が多いぐらいのこじんまりした家族的な大学で、私が二年生の時から入学要綱から男子のみの言葉が削除され消極的男女共学大学になりました。敗戦後世界のカトリックの人たちが「日本は何もないでしょう、何が欲しいですか」と上智大学に聞いた時、ビッテル神父は「何もいりません、ただ教育の人材を沢山送ってください。」と云ったそうで、博士号をいくつも持った外国人の神父たちが実に多くいましたね。これが当時から上智は国際的と言われた所以ですね。当時は大学に来ると暗くなっても帰りたくなくなるほどで、本当に良き時代でしたね。
学部は経済学部でしたが経済学をあまり真剣に勉強した記憶はありませんが月曜日は朝から夕方まで英語の授業だけで実に楽しかった覚えはあります。ただ毎回宿題が出るのは敵いませんでした。外国人の神父が教えていましたから日本語を全く使いませんでした。遅刻に関しては厳格で時間になると教室に鍵を掛けられてしまうんです。遅延証明書があっても入れてすらもらえませんでした。
上智で教わったことは博愛と奉仕の精神ですかね。“Men and Women for Others, with Others”「他者の為に、他者と共に」というスローガンがありますよね。他の大学ではこうはいきませんが上智大学は4年間通うだけで皆何か持って出ていきます。それは神父達の力かもしれませんが、それだけ学校の中に何かがあるのだと思います。阪神淡路大震災の次の日に卒業生を集めボランティアに飛んで行ったり、知的発達障害の人々の為のオリンピック協会※注1 を立ち上げたりと上智の卒業生には本当に頭の下がる人がいっぱいいます。無論ソフィア会にも東日本災害のために活動している団体もあります。
(インタビュー中の様子)
Q2・貨物船および旅客船による海上輸送や運送代理、石油やガスの販売を行う東神インターナショナル㈱という会社を創設され、現在は名誉会長をされているということですが、どのようなきっかけや目的で東神インターナショナルを創設されたのですか。
大学卒業後、石油販売と輸送をしている小さな会社に入りました。その一年後国内の輸送だけでなくタンカーをたくさん持っている外国の船会社と日本の石油会社をつなぐシップブローカーを始めないかという打診が私にありました。とにかくその時代その会社に英語のできる人なんていませんでしたから、これは絶対に自分がやろうと引き受けました。そして提携先確保の為ニューヨークに行かなければならなかったのですが、当時は渡航先に身元保証引受人がいないとビザが下りなかったんです。それで困っていると、前に話した野球部の監督だった神父からアメリカでの学生のサマーセッションの引率を手伝ってくれないかと依頼が来たんです。昭和39年、東京オリンピックの年でしたが夏休みに米国で学びたいという学生が40数人になり、その引率者としてアメリカに入国出来ますから、渡りに船で引き受けました。学生がロサンゼルスで勉強している間、ニューヨークに行き無事提携交渉を済ませ、その後ロンドンにも提携先を見つけて、それからは毎年ニューヨーク、ロンドン、ノルウェー、スウェーデンなどに度々商談や仕事で行くことになりました。仕事では日本人と西洋人との間に立って交渉するわけですが、そこで私がいつも感じたことは日本人は勝手だなということでした。商売は売り手と買い手がいてそもそも五分五分で始まり状況次第でそれが四分六分になったり三分七分になるのですが、当時の日本人は自分が有利と分かると相手の立場も考えず極端な要求を強います。間に立って恥ずかしい思いを何度もしましたね。ロンドンで、近付くタクシーの目の前を渡ろうした人に急停車した運転手が怒るどころか降りてきてその人の手を引いて反対側に渡らせてあげたのを目撃した時、日本人も早くこうならなければと思いました。
そういう意味で若かったこともあって、日本の得意先の理不尽な人とはよく喧嘩しましたね。この仕事には上智で学んだ他国の文化や歴史の相互理解の大切さが実に役に立ちました。数年後、一緒に仕事をしていた部下たちを連れて自分の会社を始めました。当時は随契と言って信用されるとすべての仕事を任される時代で多くの石油会社、船会社、商社とネットワークをつくりました。今すべて後輩に任せ私はできるだけ邪魔しないように心掛けています。日本人も余裕ができ、また外国取引も多くなったからか、相手のことを思いやる人増えてきたように思います。
◆相互理解~APICと上智の連携の意義
Q3・日本人は相手の立場を考えることが苦手であるとのことですが、上智大学はグローバル化牽引型大学採択校として人材育成や国際交流の促進に力を入れ、APICでは国際理解の促進や国際開発協力に関する支援事業を展開しています。本多評議員は、同じ目標を掲げる両者が連携することの意義についてどのようにお考えですか。また、両者の今後の連携がどのような形で深められていく事に期待をしておられますか。
APICが推進している国際協力は、結局は相互理解の上に立って相手の立場も考えての事業です。上智大学ではいま東南アジア、ヨーロッパ、アメリカだけでなくアフリカや南米など世界中から学生を集めキャンパスの中のグローバル化を進めていますが、これは言葉だけでなくいろいろ国との相互理解を深めることに依ってグローバル人材を育成するためと思います。一方APICは太平洋、カリブ島嶼国からの留学生だけでなくそれらの国々の様々な分野※注2 への支援を行う大きな意義ある事業を展開しておられます。この両者の関係が深まることは両者の発展に大変意義あることであり、学生だけでなく、上智の教授陣も巻き込んで今後もますます密接な関係になると良いと思っております。
(APICが奨学金制度を実施しているミクロネシア連邦ザビエル高校へ訪問した際の様子)
Q4・今までのお話から、本多評議員は「相手の立場に立つ」ということを学生時代から常に大事になさってきたように思いますが、その他、いまの若者や学生に向けての期待やアドバイスがあればお願いします。
私が一番言いたいことは「失敗を恐れるな」ということです。私たちの時代と違って今はインターンシップの制度があるように、机の上だけの学びじゃない実体験での学びが提供されています。しかし今の若い人はみな自分が傷つくのが嫌で何事をするにも及び腰で、もしダメだった時に自分が傷つかないようにアプローチしてきます。せっかく経験を積む機会があっても気概がないんです。これは会社においても社会においてもよくないことですよ。何か勢いを感じると相手も協力してやろうという気持ちになるものです。何か聞くときでも「間違っているかもしれませんが」とか「こんなことを聞くと怒られるかもしれませんが」なんて枕詞をつける人が多いですね。今の若者には「七転び八起」がないのか優等生であればあるほど転ぶのを嫌がるけど、転ぶことから学ぶことはたくさんあるから若いうちは大いに転んだ方が良い。
さらに個人的になりますが、「中国の古典」から学ぶことは多いですね。儒教思想ですが五常とか四端の意義を知っているだけでも少しは自分磨きの役に立ちます。勉強や知識もさることながら人間の内面を磨くことの大切さをぜひ若い人たちに考えてほしいと思います。それと中国の古典でなくともよいから日本の文学や歴史書、なんでもよいから学校の本以外の本をたくさん読んでください。
◆THE・ソフィアン
Q5・その規範が今の本多評議員の中にも上智に関わる原動力となって生き続けているのですね。
母校愛ってこともないけど、丸々ソフィアンですよ。上智は学生、父母、教職員、卒業生、すべてをソフィアファミリーと呼びます。私がいた頃と今の上智は隔世の感がありますが、その座標軸すなわち教育理念は創学以来、戦時中を含め今も一貫して変わらないのはさすがです。卒業後仕事に打ち込みながらも野球部の監督を5年間したリ、経済学部や大学の同窓会の役員を引き受けたりして、今尚実に多くの卒業生たちとの交流を楽しんでいます。
※注1 1968年、故ケネディ大統領の妹ユニス・シュライバーは、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援する「スペシャルオリンピックス」を設立。上智大学の卒業生である細川護煕元総理大臣の夫人、細川佳代子さん(1966年・上智大学英文学科卒)により1994年、「スペシャルオリンピックス日本」が熊本に発足した。
※注2 日本の学生をミクロネシアに短期で派遣する「ミクロネシア・エクスポージャーツアー」や、環境や観光業など各分野で活躍する人材を育成するための日本へのリーダー招待事業、留学生に向けた日本文化体験プロジェクトなど、様々な形で国際理解を促す活動が行われている。
(左から:インターン生の金原さん、稲村さん、本多評議員、中田さん、APIC 芳賀理事)
1961年 三喜興産株式会社(石油製品販売業) 入社
1963年 東神タンカー株式会社(同上系列内航油槽船主)移籍
1966年 同社退社、海運仲立業本多商会 設立開業
1990年 三喜興産(株)代表取締役副社長 就任
1994年 本多商会廃業
同年 東神インターナショナル株式会社 設立
同年 代表取締役社長 就任
2001年 米国ロスアンゼルス市港湾局 日本代表
2003年 日本海運仲立業組合(日本シップブロカーズ協会)理事長就任
2005年 同上 代表取締役会長 就任
2014年 同上 名誉会長 就任
2015年 (一財)国際協力推進協会 評議員 就任
上智大学関連
1971年~2008年 上智大学同窓会(ソフィア会) 常任理事
2000年~2006年 ソフィア会 副会長
2006年~2009年 ソフィア会 会長
学校法人 上智学院 評議員
(※ 2019年1月時点)
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